【第16話】仕事人生だったと僕に言葉を残して去った父。
🎬✨
僕の父は、60代前半でこの世を去った。会いたくなった時にはもういない。話を聞きたいと思っても二度と会う事ができない・・
その昔、聞いた事のある若い頃の父は、サッカー部の部長だったらしい。顔は加山雄三に似てるとよく周りから言われていたそうだ。
いつか見たモノクロ写真の中で敬礼をしていた父方の祖父(警察官)と、ビデオテープの中で個性的な声で民謡を歌う三味線奏者の祖母、6人兄弟の次男だった僕の父・・上3人が男、下3人が女の6人兄妹、上と下の3人で奥さんが違う祖父に敬礼・・
ところで、独身時代の父は、いったいどんな男だったのだろう?・・幼少期は?幼年期は?そう10代は?20代は?30代は?・・今思うと何故かほとんど知らない。
聞いた事の有るエピソードは、当時彼女と別れて夜の海に服を着たまま入ってそのまま死ぬ気で独り太平洋に向かってグングン歩き続けて、ふと振り向いた街の光があまりにも綺麗で地上に戻って来たという話・・もしこの時の父がこのまま戻らなければ、僕は今此処に居ない。
飲み屋で初めて会ったプロ志望の演歌歌手のオリジナル曲がいいと言って、父は何度も何度もその曲のワンフレーズを家の中で歌ってた事を覚えている。今思うと当時の僕にはエロ過ぎる歌詞だった。
僕が子供の頃、母方の祖父母には毎年会っていたけど、父方の祖父母にはほとんど会った事がない。会った記憶はほんの数回、幼い頃と亡くなる直前・・
病室で寝ていた歌の好きだった祖母が愛用していた黒いラジカセを譲り受けた(そのラジカセで友人Wと20代の頃作詞作曲した歌をアコースティックギターの弾き語りで歌ってカセットテープに録音していた時代が懐かしい。)事を今も覚えている・・
父は結婚した後、故郷から完全に離れて、僕たち家族と生きていた。その理由を今更深く探るつもりはない・・
頭が良くて誰もが知ってる有名大学卒、就職先の上司の娘と結婚して僕が生まれた。
父の就職先が違えば、僕は今此処に居ない。
僕が幼かった頃のエピソードが有る。
ある日、社宅の中庭の遊具で友達と遊んで日が暮れて、友達と別れた後いつものように家に帰ると鍵が閉まっていて誰もいない。
鍵を持たされていなかった僕は、仕方なく中庭に戻り、滑り台のてっぺんに座りながら両親の帰りを待っていた(遠くまで見渡せるように。遠くからでも見えるように。)・・
幼かったあの頃は携帯電話も無く連絡を取る手段が無い。ただ寂しくて、泣いて泣いて泣き続けた。暗くなるまでずーと待っていると、僕の名前を呼ぶ声が聞こえた。
その声に駆け寄って辿り着いた洋服で涙を拭きながら温かく優しい母に包まれた。何故そうなって、理由は何だったのか、詳細はまったく覚えていないけど、この出来事は今でも鮮明に覚えている。
丁度今の僕と同じ歳の頃の父が、人生で一番輝いていた。そう息子から見て感じていた父の葬式で喪主の僕は、マイクで参列者にそう語った。父は転勤族で僕が高校の頃、海外に単身赴任していた。
遠い異国の街で新規事業でバリバリ働いて家族を養っていた。そこで何が有って、どんな感じだったのかを知らない事が今でも悔やまれる。40代の男の話が聞きたかった。
僕が幼かった頃、ビール瓶のあの黄色いケースがいつも玄関に積んで有るほど、ビール好きだった父、僕はあの瓶の匂いが嫌いだった。
昭和のあの時代にはとても珍しい事だったけど、パソコンが自宅に有った・・フロッピーディスクではなくてカセットテープに収録されたパソコンゲームで遊ばせてもらえる時だけ、そのパソコンに触らせてもらえた事を覚えている。
思春期の僕が実家で暮していた頃、父だけはとにかく怖かった。仕事から帰ってくるとその場から逃げたくなった。
好きという心とは裏腹に怖すぎて嫌いだった。顔を合わせて夕飯を食べながら久しぶりに調子良く話してると、父は未熟な僕を叱りつけて、時にはビンタもされた。そのまま家を飛び出した事もある。今思い出すと、とても愛されていたなと感謝しかない光景だけど、あの頃はそれが嫌で嫌で仕方がなかった。
ふと、一緒に写ってる写真を見直すと、可愛がられていたなぁと思う。本当は好きで好きで仕方がなかった。
それでも父は、人生の8割を仕事に費やした。
珍しく、2人して黒いスーツを着た老いた父と30代の僕が母方の祖父が火葬場で焼かれる日に銀色の長いよくある円柱の灰皿で一服した場面が有る。今でもあのシンプルで濃厚な数分間を思い出す事がある。いい顔して、いい話をした。いい風が吹き抜けていた。
亡くなる直前、病室のベッドで仰向けに寝ている父が天井を見ながら指折り何かを数えていた。
亡くなって、病院から棺桶に入って久しぶりに実家に帰って来た父・・(まさかエレベーターの此処がこんな感じで開いて棺桶がエレベーターに入るなんて)・・、最後の一夜を畳の部屋で寝かされて過ごした。その体は驚くほど硬く冷たかった。若返ったような美しい寝顔だった。
一夜明けて、朝から会った事がない人たちが次から次へと父のお別れに訪れた。「長男さん?お父さんにそっくりだね、私達の為にお父さん頑張ってくれてたんですよ・・」などと、内容はハッキリ覚えていないが、定年を迎えて多くの時間を家で過ごしていた父が、町内で熱く動いて語っていたいくつかの出来事をその時初めて聞かされた。
父らしいなと思った。
そのまま何人かと挨拶をしていると、スーツ姿の男性が1人で父に会いに来た。「仕事で大変お世話になりました。どうしてもお会いしたくて。」というような言葉だったと記憶している。
父らしいなと思った。
そして、父は、この世を去った・・
世代交代した僕は、人生の最後に「好きな事を好きなようにやれて楽しかった。色々有ったけど、幸せだった。悔いはまったく無い!あとは頼んだぞ!」と娘に笑いながら伝えてこの世を去りたい。
それがきっと実現できるこの今の時代に生きているから、休日は自分だけの自由な時間にどっぷり浸かって過ごしていたい。
この心の中に有る。今後生まれる。そのいくつかの溢れ出す感情を形にしてこのネット上に種まくように発信し続けていれば、何かしらの結果が返ってくるだろうし、収穫の時期もきっと訪れるだろう。そんな夢まで持たせてくれるいい時代に生きているなと今つくづく思う。人それぞれ、人生いろいろだけどね。僕には、
https://www.instagram.com/punkunii/
https://twitter.com/punkuniverseice
YouTuber、
https://www.youtube.com/channel/UCfgFqkzDCOuhABt3c9RFuyg
ここでいつでもどこでも自由に不特定多数の人たちに何かを好きなタイミングで伝える事が出来る。自分のために残せる事も出来る。そんな場所が今此処 blog にも有る。
そりゃもう楽しく生きなきゃもったいない。あの頃よりも恵まれている今の時代と環境に、僕は今日もこうして、心から感謝している。
決して、時代のせいにはしたくないけど、仕事人生だったと僕に言葉を残して去った父はきっと、他の言葉で僕に伝えて終えたかったに違いない(本当のところはどうなのか分からないけど)・・
今、表現できる事は、まだまだこんなもんじゃないし生活の為だけに続けてる今の仕事に人生の8割の時間を心ごと奪われながら本来生きるべき時間を奪われる人生なんて僕は真っ平御免だ 🤪✨
そう思うから、休日前夜から、この感情やらその他何もかもを帰宅中にクルッと切り替える。
アートを全開モードにする。本来あるべき自分に戻す時間が必要になった。その手段のひとつとして生み出したキャラクターがこの「ぱんく」
僕には、この先楽しみながらやり続けなければならない事が有る。自分が素でイイと感じるイメージをこの胸の中に秘めたアートな世界観を悔いの無いように表現して、ひとつでも多く発信し続けて、このネット上に残してこの世を去るために・・。
🎤 追伸 : 父の通夜の日、母方と父方の親戚一同が寺の部屋に集まった(生まれて初めて見る光景だった。)・・みんなで長テーブルを囲んで座り、語り、夜になり、真面目な母方の親戚は用意された布団で静かに寝た。父方の親戚は、寺にタクシーを呼び、喪服のまま街に向かおうとしていた。母方には妹が付き合い、父方には僕が付き合った。街の居酒屋で喪服姿の僕たちは酒を飲んだ。長女は煙草をふかし、酒はずっとロックだった。二次会は、丸い紅色の椅子がいくつか無造作に置かれた薄暗いカラオケスナックだった。その椅子に座りながら歌った。何故か、ひとつだけ椅子が余っていて、長女がその椅子を見ながらこう言った。「今此処にお父さん座って、歌を聴いてるよ。」マイクを握りながら、僕も同じ事を考えてた。